「ポスト・アメリカ」の時代についての議論は多く聞くが、それは、まだ、「不透明」であるし、よく分からないというのが実際のところだろう。だからといって、そこで思考を止めるのではなくて、国際政治だろうが、何だろうが、一人ひとりの認識や考えが、この社会なり世界を形成していくと考えるとするならば、僕たち一人ひとりの主体的な取り組みが求められていると言うことができよう。
日経ビジネスの最新刊の小浜ではなくて、オバマ特集を読みながら、少しポスト・アメリカについて考えてみたいと思います。
「冷戦」というと、何かイメージがつきにくい人が多いと思う。世界史的に考えてみると、いろんな米ソの対立と、それの代理戦争があったことが容易に想像される。しかし、日本史の文脈だと、その点は希薄に描かれている。希薄だったから、希薄に描かれているのか、それとも、研究者が、国際システムという視点に立って捉える事が出来ていないのか。僕の雑感としては、日本研究における国際関係における位置づけという点が弱いように思われる。すぐに、問題を国内問題に収斂させていく傾向があるように思われ、そのあたりの拡張への試みがこれからの一つの方向性になるのかもしれない。
インドネシアでは、65年に、スカルノからスハルトに、クーデターで政権が変わった。裏には、アメリカがあり、社会主義的傾向のあるスカルノを嫌ったからだ。結果、横暴極めるスハルトを、支持するということを、アメリカはすることになる。
こういう他国の事例を見ていると、日本においても、何か、あったのではないかと、思ったりするのではあるが、それはあくまでも推測である。
こうした政治の大きな話を考えている時、そこにいる、一人ひとりへの想像力が弱くなることが、僕には多い。
オバマは、ハーバード卒業後、貧困地帯で、地域活動家として、何年間か働いていたようだ。そして、そこでの活動に限界を感じると、上の次元に上がっていくことになる。ロー卒業後、シカゴ大学で憲法を教えることになる。そのことが、憲法こそが、オバマの基礎になっているのではないかと言う。
僕なんかも、昨年、ちょっと憲法を勉強をして衝撃を受けたね。そこに溢れる理想であったり、理念であったり。僕には、それらは、現実の問題であったり、現実という名の議論に対して、打ち勝つための重要な考えのように思えた。使える道具であると思えた。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」ウイッキペディアからの引用。
本『The Post-American World』 どういった論旨で、それを言おうとしているのかについては、興味がある・・・。
今一生『社会企業家に学べ』アスキー新書
ではでは。

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