昨日、夜に、都庁の展望塔から、東京を一望した。キレイと、思った。日本には、地平線がないのは知っているが、そこから見ることができた景色は、光輝く光景が永遠と続いていた。ニューヨークとも、上海とも違う景色だと、感じた。日本らしい、と思うのは、僕だけかな。
今日は、テレビを部屋から撤去しました。ので、これから、僕と会っても、テレビ関係の話をすることは、絶対にありません。youtubeも、ニコニコ動画も、もともと見ないので、そんなわけで、完全に、映像文化とは、断絶しました。というのは、少し嘘で、映画だけは、細々と見ていく予定ですが。
正直、面白くなくなってきたというのが、その決断の背景にはあった。が、しかし、テレビも、興味深い情報を僕に供給していたということも、事実なので、どうなるのか?テレビを見ていた時間を、他の読書とか、考える時間にしたいというのが、理由。
一日は、24時間しかないので、全てを行うのは、不可能。そんなわけで、何かを追及するには、何かを捨てなければいけない(涙)。
最近というよりも、かれこれ、7年か8年くらいでしょうか、インプットの量が多すぎて、自分の頭で考えるということを、停止しがちになっている。
ウェーバーは、「あなたにとって学問とは何ですか」と問われたら、「どこまで耐えられるか、やってみたい」と、答えたそうです。どこまで思考を続けるということに耐えることができるのかについて、挑戦しようということですね。
僕なんかも、自分の頭で、考えようと思うのですが、なかなか難しい。案外、インプット0で、町とかをブラブラしている時に、思考が進んで行ったりするのが、何か悔しい。できたら、部屋で、椅子に座って、本を読んでいる時に、思考が回転してほしい。
「どうしてー」とか「なぜー」とかが、最近出てこない。昔、と言っても、そんなに昔ではないドラマで、「エジソンの母」というのがあった。伊東美咲さん主演で、うちの大学で、撮影していたドラマ。これで、エジソンの卵のような子供が、「どうしてー」とか言っているのを見て、自分が保守化、思考停止型、ダメダメ型になっているのを痛感。
案外、いろんな問題というのは、自分の頭の知識である程度の答えは出るのではないかと、最近、思うことが多い。けど、まだまだ、インプットを続けないといけないのも、事実ではある。
最近の経済崩壊を、1970年代以降の新自由主義路線の崩壊と、転換点と見る見方があるそうです。僕も、その大きな見方に、賛成ですね。これからの見方で、3つ位の大きな路線があるのではないか。パブリックセクターは、新自由主義で喧伝された効率という側面も維持しつつも、同時に、パブリックセクターのあるべき姿を再定義して、その役割を追及する。グローバル企業は、国家の枠組みを超えて、世界展開をする。そして、中小企業及び、家計などは、それが属する地域を軸に展開し、それぞれが、地域での役割を見出し、経済的そして社会的に、満足を得ていく(?)。うむ。
そんなわけで、ひとくくりの時代から、それぞれ、いくつかのアクターごとに、多様な展開をしていったら、良いのにと思うのでした。

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