2008年8月14日木曜日

視角の設定に関する雑感

この世界は広く、それを、ひとつの視角から議論や語ることは不可能なことくらいは、何となくではあるが、分かるような気がする。

こうした問題を直視し過ぎると、「病気」になることは間違いない。

映画「クワイエットルームにようこそ」で、蒼井優さんは「世界がゼロ・サムゲームで、その中で、自分が他人の分を奪っているという『世界』に耐えられられなくなって、良心の呵責から、食べ物を食べられない」という役をしている。見ていて、つらい。

今日も、ふらふら、新宿に行って、先日のように、ホームレスが寝転がっているのを見ました。昨日も、いろいろ考えさせられるような経験がありました。正直、その人たちを見ることによって、何となく、その人たちが、どれだけ、壮絶な人生を送ってきたのかについて、少し見せられたという感じを僕は受けました。「現実」の厳しさを感じました。

かわいそうな人たちのかわいそうな側面を指摘するだけでは、世の中は「変化」しない事くらい、分かる。「世の中のことを全く知らない」僕でも、そんなことは分かっている。でも、かわいそうな人たちを、世の中の認識において「排除」したままでは、何も問題は解決しないことも、分かっているつもりだ。もしも、「排除」されていると、そこでは、明らかに、「不正」が発生することだろ。「搾取」と言ってもいいのかもしれない。

高校から、大学の2年くらいまで、こうした問題を直視し過ぎて、精神状態がきつくなることが多かった。今は、何となくではあるが、こうした「現実」を「現実」として受け止めている僕がいるように思う。

こうした「現実」を、どのように、受け止めていますか???

僕は、一年の時に、派遣社員のエピソードを聞いて、世の中に、ビビりました。その話によると、容姿の程度によって、自給が変化するとのこと。これが、資本主義の「現実」か?

ある意味、世の中の「格差」「貧困」などの「矛盾」を考えながら、オリンピックを見ていると、その偽善的な雰囲気に、何かしら、僕は、大きな違和感を感じてしまう。だから、僕は、人生を楽しめない部分があると思う。楽しむことが罪だと、思うところがある。

少し前に原爆についての映画あった。宮沢りえさん主演映画と、田中麗奈さん・麻生久美子さん主演の映画。これらの映画で、原爆から助かった人々が言うセリフとして「自分だけが、幸せになることは、できない」というのがある。

明らかに境遇が違うし、僕の問題と同じにすることは、明らかに不遜である。でも、映画を見ていて、何か思うところがある。

ある意味、僕は、感受性が豊かで、いろんな考えが、想起しやすい(これが、僕の、すごく、広い興味関心につながっている)のかもしれないが、それが、逆に、僕を苦しめていることも、多々あるように、思われる。

そろそろ、視角を定めて、問題を狭めて、考えていくことが、僕のQOLを高めるという観点からも、必要なことなのではないかと、少し思うのでした。

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