2008年10月2日木曜日

「国家」よ

「冷戦」の崩壊以後、自由主義経済が世界中を覆うようになった。自由主義経済下においては、世界中をモノ・ヒト・カネ・ネタが国境を越えて、瞬時に行きかい、「光」と「影」の両面において、様々な変化を引き起こしつつある。この変化の中で、日本の政治・経済・社会も既存の枠組みでは対応できず、「改革」が求められている。具体的に、中曽根内閣による改革から、橋本6大改革、そして小泉構造改革へと、日本は、自由主義的な枠組みに適応できるように、「改革」進められてきた。結果、日本は政治・経済・社会の全ての面において、大きく変容しつつある。

この一連の改革は、もちろん、国内から求められた内発的な側面があったことは事実であろう。しかし、海外からの「圧力」によって、国内改革が進められた側面もあるであろう。カネ・モノ・ヒト・ネタの国境を越えた大きな流れは、これまでの「国家」の役割を後退させるように働いているように思われる。日本においては、「小さな国家」が大きく唱えられた。 今日では、その構造改革の結果、不利益を被っていると考えられる人たちが日本の中においても、そして、世界においても、相当数いることが考えられる。そして、その内には、既存の「国家」の役割が健在であれば、「救済」されていた人たちもいるであろう。また、世界的な大きな変化に対しても、「国家」は、それに対応して、「救済」を図る必要があることも当然である。 「グローバリゼーション」とは何かは、まだ不明であるが、少なくとも、巨大な資本とかが、国境を越えて、国境をぶっ壊して、世界を均質な市場にして、そこで利益を生み出そうとする側面があることは考えられる。そこでは、エコノミーの論理が優先し、福祉などの面が失われ、多くの人々が、「国家」による「救済」も受けることができなくなり、苦しい境遇に貶められるということは十分に考えられる。「国家」による「救済」を受けることができない中での「貧困」などの「構造的な暴力」は、もちろん単線的に結びつくわけではないであろうが、「テロ」などを生み出す土壌になっていることは十分に考えられる。そして、低くなった国境を越えて、「テロ」が世界中に広がり、「見えない」脅威が私たち一人一人に圧し掛かってきている。

もちろんであるが、「グローバリゼーション」は「影」の面ばかりではなくて、「光」の面もあり、私たちは、そこから大きな利益を得ている。世界中がインターネットで結ばれることにより、私たちは、世界中の「知」「ネタ」などに、容易にアクセスできるようになった。また、これまでよりも「自由」に他国に留学や観光などで、行くことができるようになったということも指摘できるであろう。結果、様々なレベルでの「交流」が行われるようになり、他国のことに対しても、より強くシンパシーを持つことができるように変化しつつある。

このような中で、「近代主権国家」を基礎とする近代国民国家体系が変容しつつあると考えることは、自然なことなのではないか。具体的には、ヨーロッパにおけるEU統合の「拡大」と「深化」は、私たちに、新しい国際秩序の可能性を感じさせる。少なくとも、自国の最適化を図ることを追求する「近代主権国家」は、「グローバリゼーション」によって、変化を余儀なくされていることは明らかであろう。

私たちは、インターネットなどによって、他国を知り、他国のことに関して、無関心ではいられなくなった。つまり、他国で苦しんでいる人々を無視することはできなくなり、彼らに何かをしなければという感情を沸き起こさせるように、私たち自身の認識が変化しつつある。また、他国にまで広がる「テロ」も、その原因の一部は、その当事国の「破綻」であり、それを、他国が、利他的な動機(その当事国の市民に何かしなければいけないという感情とかなど)にしても、利己的な動機(「テロ」が自国に及ぶのを防ぐなど)にしても、無視することはできないし、してはいけない。「国境を越える医師団」などの活動が、このような変化の先進的な取り組みとして捉えることができるかもしれない。

ただ、ここでは、「国家」の役割が小さくなり、「国家」の役割が「超国家的」な組織や、「国家」よりも「ローカル」な組織に移るということを指摘したいわけではない。もちろん、これまで「国家」が独占してきた役割を他のアクターに移すことは重要であると考える、そのことについて考えることも重要であろう。しかし、ここでは、既存の「国家」が、「グローバリゼーション」によって、大きく動揺しつつある中での「国家」の役割について検討していきたい。私は、「国家」の役割は、依然として重要であると考えている。それは、グローバリゼーションという 巨大な流れに対して、抵抗できる、今考えられる主体は(もちろん国家だけではないが)、その有効性実効性も考えると、「国家」しかないのではないか。(「超国家的」組織や「ローカル」組織に対しても、大きな期待を寄せてはいるが。) もちろん、単なる、自国内の自己最適を諮るだけではダメだということは明らかではあるが、ただし、上でも確認したが、国家に何かしらの役割があるということも明らかであろう。グローバリゼーションの中で、国家は如何にして、あるべきなのか?

0 件のコメント: