2008年7月31日木曜日

国民国家論への雑感

「『国民国家論』を、どのように受け止めるのか」

○課題の設定

私たちは、どのような時代を生きているのだろうか。「不透明」であるというのが、この時代を表現する際に、最も適した言葉のように思われる。戦後、「成長」など、私たちの社会を規定する考えが、多くの人々に共有されていたように思われる。しかし、その「成長」が、一部の人を排除するものであったり、その「成長」の限界が指摘されるなどして、そうした社会全体の共有意識というものは崩壊しつつある[1]。こうした状況が、私たちの社会を不透明にする大きな原因であり、こうした時代だからこそ、これまで以上に、一人一人の主体的な取り組みと思考が求められているということができるだろう。
 
ここ100年を振り返ってみると、第1次世界大戦、第2次世界大戦など、国民国家による大戦争が想起される。その後の、冷戦期においても、米ソによる核の軍拡、または朝鮮戦争やベトナム戦争など、国民国家の暴力装置としての役割が強く印象づけられる時代である。ただ、同時に、その時代は、脱植民地化の時代でもあり、多くの民族が、または、旧植民地が、国民国家の建設を求めた。もちろん、この国民国家化の流れや、国民国家に関しては、批判だけではなく、肯定的に捉えることができる面もあることは明らかであろう。ただし、歴史的な事実を考えた時に、肯定的な側面だけを持つことは絶対にできず、両方から捉える事が必要なのであろう。また冷戦期は、その国民国家を乗り越える時代でもあった。今も、統合への過程を進んでいるEUなどは、その最も大きな例であろう。この統合への深化の最初の動機には、独仏間での戦争、また、ヨーロッパにおける戦争を、阻止しようというところから始まったと見ることもできる。他にも、冷戦から冷戦以後になると、NGOやNPOなどが、国境を越え、その活躍の場を広めている。こうした新たな試みは、国民国家の不足を補い、または、その問題を解決していくのに大きな役割を果たしていると言えるだろう。ただ、こうした国民国家を乗り越えようとする動きは、肯定的な側面ばかりではない。多国籍企業、グローバル企業や、巨大なファンドなどは、国民国家以上に、その経済力をつけつつある。アジア通貨危機などは、そうしたファンドの行動が大きな作用を及ぼし、国民経済を破壊したとも言われている。昨今の、資源高も、その背景の一つには、投機マネーの存在があることが指摘され、国民国家を超えた経済プレイヤーが世界を動かしていることがわかる。もちろんではあるが、こうした巨大経済プレイヤーは否定的な側面だけではなく、マイクロソフト社の創業者ビル・ゲイツなどは、その創業者利益を、世界の貧困などのために、費やすなどの試みがなされている。
 
国民国家の限界や、危険性、または、肯定的な側面も、歴史的な事実から、言うことができるだろう。こうした中で、国民国家論は、国民国家を全体として批判する試みである。以上のように、国民国家が、さまざまな段階を経てきて中で、そのあり方自体を批判的に見ていくことは非常に必要であると考える。

ここでは、「中間理論[2]」として構築されるべき国民国家論を、どのように受け止めていくのかについて、西川長夫[3]と大門正克[4]の意見を中心に整理し、考えていくことにする。「中間理論」とは、総力戦体制論や、国民国家論、ジェンダー論、「貫戦史」「貫戦期」などの理論のことである。1990年前後の冷戦構造の終焉(ソ連邦崩壊)あたりから、グランドセオリー=「大きな物語」の解体が叫ばれ始め、「歴史学の漂流」が始まり、「大きな物語」に代わって「小さな物語」に向かう人々が出てきた。こうした全体史とのつながりを失った個別研究では、その研究の方向性を失ってしまう。こうした中において、全体史とのつながりを回復するべく「中間理論」が絶対に必要であると言われている[5]。ただ、こうした「中間理論」に関しても、様々な見方があり、今回は、国民国家論について、その違いをできるだけ示す形で、考えていくことにしたい。

○国民国家論
 
最初に、国民国家論について見ていくことにする。国民国家論は、われわれがそのなかに囚われている国民国家を相対化し、対象化し、批判する試みである。西川にとって、国民国家論は少なくとも以下の3点を含むものであるとする[6]。1つ目は、自分自身が囚われている国民国家を全体として、対象化する試みであるということがある。つまり、国民国家論は、国家装置と国民形成の双方を視野に収めると同時に、それを論じる者の言語や思考や感性を問うものであると言う。2つ目は、国民国家論は国民国家批判であり、批判理論としての国民国家論であるということがある。ここ、100年の戦争などの歴史的事実を考えた時に、国民国家論が、批判理論としてなければいけないことは明らかである。その中で、国民国家論は、戦争を生み出す装置や制度をそのままにしての戦争批判とは大きく違い、その装置や制度をも含んで批判していく学問であるという。3つ目は、国民国家論は国民国家が世界的な国家システムのなかに組み込まれており、しかもその世界的な国家システムが(したがって国民国家が)崩壊に向かっているという認識から出発しているという。つまり、短期的には国家の存続はあったとしても、崩壊のさまざまな傾向と兆候を経て、崩壊の過程を進んでいくと見ている。

次に、国民国家に関して、国民国家論は以下4点の考察と判断を含んでいるとしている[7]。①国民国家は歴史的に形成され、時代と場所によって変化し異なった意味をもち(基本構造とヴァリエイション)、初めと終わりがある。②国民国家はそれ自体が矛盾的な構成体であり、その矛盾が原動力であると同時に破壊的にも働くであろう(抑圧と解放、搾取と被搾取、福祉と軍備、戦争機械としての支配と自滅の可能性、等々)。③国民国家は国際関係あるいは世界システムのなかで機能し、平等な国家主権あるいは国民主権といった神話にもかかわらず、中核と周辺、支配―被支配といった世界的差別の構造の中に位置づけられる。そしてその結果として、国民国家はシステムの普遍性をのなかで差異(国民文化、国民性、国民史、国語、国家、国旗、等々)を強調する。④国民国家においては国民の再生産(国民化)が最優先の課題とされる。国家は国民を必要とし、国民は国家装置によって国家にふさわしい存在としてつくられる。
 
以上、国民国家論と、その理論が含意する国民国家について、見てきた。国民国家論は、相対化し、対象化し、批判する学問であり、その批判の対象は、歴史学にまで広がっている。近代歴史学には、以下3点問題があるとしている[8]。①近代歴史学は国民国家の産物であり、国民国家の制度であり、したがって国民国家の一部である。歴史が国民史の形を取るのはその必然的な結果であった。②したがって、近代歴史学が国民国家と運命をともにするのは理の当然であって、歴史学は国民国家とともに終焉をむかえ、歴史記述、つまりジャンルとしての歴史も、消滅するか形を変えるはずである。③そして現に国民国家は崩壊しつつあり、歴史学も崩壊しつつある。逆に言えば、歴史学の変質が国民国家の変質を表しているとする。

国民国家論を使う形で、国民国家を批判してきたのだが、西川はそれに代わるオルタナティヴを提示することはない。逆に、オルタナティヴは歴史とともに、長い考察と批判のあいだにおのずと形成されると述べるなど、よくわからない[9]。つまりは、国民国家論は、批判の学問であり、簡単に、または、安易に、オルタナティヴを提示することはしないということなのであろうか。ただし、ヨーロッパにおける統合について、一つの新しい試みとして見ていることは確かそうである[10]
 
次に、大門の議論を見ていくことにする。大門は、基本的には、国民国家論を受け入れつつも、その理論の含意するオルタナティヴの姿に、「強い個人」があることに対して、強い反発を示している。また、国民国家に含まれた問題性を指摘するだけでなく、国家そのものを忌避する議論が含まれていることに対しても違和感を表明している。結果、「拠点」を定めて、その中で、「近代」について、肯定否定の側面、または、規範とのずれを見る中で、「近代」の意味を明らかにしていこうとしている。また、その「拠点」の中に、「近代」を乗り越えようとする動きを見ようとする。
 
こうした考えのために、人と人のつながりには、個人を抑圧する危険性が含まれていることは認識しつつも、そのつながりの再生に、将来の展望を示している。その抑圧性を、解消していくために、主権を広げていくことが重要であると述べられている。そして、結論部分の表明ではあるが、遠い将来を別にすれば、国家には共同性を担保する必要な役割があると述べている[11]。主権については、憲法などを勉強していくことが必要なのであろう。ただし、国民国家論の議論から、主権についても、批判されており、その点を踏まえると、どうなるのかについても議論する必要があるのではないかと思う。ただ単に、主権を広げれば問題が解決するというほど、問題は易しくはなさそうである。また、国家には共同性を担保する必要があるというが、その共同性を国家が担わなければいけないのかどうかについても疑問がある。アジア・太平洋戦争における政府の政策(満州における政府による市民に対する政策とか)は、政府への信頼を失わせる。国家は、共同性を守ってほしい時に、本当に守ってくれるのだろうか。

○まとめ
 
以上、簡単化して、国民国家論を西川の議論の依拠しながら、まとめてきた。そして、こうした議論を受けて、どのように考えるのかについて大門の議論を使いながら、簡単に見てきた。国民国家論は、西川も強調するように批判の理論のようであり、必ずしも、その先に、オルタナティヴを示せるものでもなさそうである。しかし、理論的に「強い個人」というのを含意していることも、また、確かそうである。そのため、国民国家論を使い、ただ単に、「強い個人」を理想とする議論については、私も強い違和感を覚える。そのため、人と人とのつながりの中に、問題の解決を求めていきたい。大学におけるサークル活動などの活発さを見ていると、人は、人と人とのつながりの中で、生きていき、その中で、解決していくしかないのではないかと思わざるをえない。東京における、県人会の組織などを見ると、人は一人で生きられるほど、強くないし、強くなかったことは確かだ。
 
だからといって、人と人とのつながりが良いとは限らず、それには、抑圧を伴う。それを解決するために、主権を広げるとのことであった。ただし、主権や、または上で見たように、歴史学でさえ、批判されるべき対象であり、私たちは、自分たちが寄って立つ思想を、再度、点検しなおす必要性があるように思われる。そして、このことを可能にしたのが、国民国家論であったのだろう。


参考文献:
・大門正克『歴史への問い/現在への問い』校倉書房、2008年。
・中村政則「グローバリゼーションと歴史学」神奈川大学広報委員会『神奈川大学評論』第56号、2007年。
・中村政則「戦後歴史学と現代歴史学」日本歴史学協会『日本歴史学協会年報』2008年。
・西川長夫「戦後歴史学と国民国家論」歴史学研究会編『戦後歴史学再考』青木書店、2000年。
・日本経済新聞社編『されど成長』日本経済新聞社、2008年。
[1] 日本経済新聞社編『されど成長』日本経済新聞社、2008年は、成長に関して、さまざまな批判があることを多少は踏まえた上で、しかしながら「新しい成長の形」を探そうとする試みであるとしている。
[2] 中村政則「戦後歴史学と現代歴史学」p.4。
[3] 西川長夫「戦後歴史学と国民国家論」歴史学研究会編『戦後歴史学再考』
[4] 大門正克『歴史への問い/現在への問い』
[5] 中村「グローバリゼーションと歴史学」p.171を参照。
[6] 西川「戦後歴史学と国民国家論」p.75-77。
[7] 西川「戦後歴史学と国民国家論」p.110-111を参照。
[8] 西川「戦後歴史学と国民国家論」p.107-108を参照。
[9] 西川「戦後歴史学と国民国家論」p.109-110を参照。
[10]西川「戦後歴史学と国民国家論」p.97。
[11] 大門『歴史への問い/現在への問い』p.60-61を参照。

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