2008年8月14日木曜日

視角の設定に関する雑感

この世界は広く、それを、ひとつの視角から議論や語ることは不可能なことくらいは、何となくではあるが、分かるような気がする。

こうした問題を直視し過ぎると、「病気」になることは間違いない。

映画「クワイエットルームにようこそ」で、蒼井優さんは「世界がゼロ・サムゲームで、その中で、自分が他人の分を奪っているという『世界』に耐えられられなくなって、良心の呵責から、食べ物を食べられない」という役をしている。見ていて、つらい。

今日も、ふらふら、新宿に行って、先日のように、ホームレスが寝転がっているのを見ました。昨日も、いろいろ考えさせられるような経験がありました。正直、その人たちを見ることによって、何となく、その人たちが、どれだけ、壮絶な人生を送ってきたのかについて、少し見せられたという感じを僕は受けました。「現実」の厳しさを感じました。

かわいそうな人たちのかわいそうな側面を指摘するだけでは、世の中は「変化」しない事くらい、分かる。「世の中のことを全く知らない」僕でも、そんなことは分かっている。でも、かわいそうな人たちを、世の中の認識において「排除」したままでは、何も問題は解決しないことも、分かっているつもりだ。もしも、「排除」されていると、そこでは、明らかに、「不正」が発生することだろ。「搾取」と言ってもいいのかもしれない。

高校から、大学の2年くらいまで、こうした問題を直視し過ぎて、精神状態がきつくなることが多かった。今は、何となくではあるが、こうした「現実」を「現実」として受け止めている僕がいるように思う。

こうした「現実」を、どのように、受け止めていますか???

僕は、一年の時に、派遣社員のエピソードを聞いて、世の中に、ビビりました。その話によると、容姿の程度によって、自給が変化するとのこと。これが、資本主義の「現実」か?

ある意味、世の中の「格差」「貧困」などの「矛盾」を考えながら、オリンピックを見ていると、その偽善的な雰囲気に、何かしら、僕は、大きな違和感を感じてしまう。だから、僕は、人生を楽しめない部分があると思う。楽しむことが罪だと、思うところがある。

少し前に原爆についての映画あった。宮沢りえさん主演映画と、田中麗奈さん・麻生久美子さん主演の映画。これらの映画で、原爆から助かった人々が言うセリフとして「自分だけが、幸せになることは、できない」というのがある。

明らかに境遇が違うし、僕の問題と同じにすることは、明らかに不遜である。でも、映画を見ていて、何か思うところがある。

ある意味、僕は、感受性が豊かで、いろんな考えが、想起しやすい(これが、僕の、すごく、広い興味関心につながっている)のかもしれないが、それが、逆に、僕を苦しめていることも、多々あるように、思われる。

そろそろ、視角を定めて、問題を狭めて、考えていくことが、僕のQOLを高めるという観点からも、必要なことなのではないかと、少し思うのでした。

2008年8月12日火曜日

キャリア形成に関して。

ユニークな経歴の方の本を買ってしまった。。。

「えばたたかこ」さん
http://www.ebata-takako.jp/

民間→留学→外資→大学→政治。詳しくは、WEBで確認して下さい。。。

新しい流れが、若手の政治の中で、出来つつあることを、僕は、こうした所から感じたい。

本の名前:「あきらめない心」が明日の自分をつくる

「希望」ということを考えた時に、その先に、モデルがあると、安心できる。「希望」が持てる。。。こうした新しい流れを、きちんと、位置づけることによって、こうした流れをもっと大きくすることができれば、世の中も、変わるのではないかと思う。そうした位置づけは、誰のすることなのか?

今の時代は、多くの人がステレオタイプのごとく唱えているように、閉塞感が漂っているように、僕にも思うが、その中にも、次の時代を作り上げる大きな胎動があるわけで、それを、どうやって、受け止めていくのかが、僕のように、若い人には、問われているように思われる。


今日も、新宿の西のあたりで、ぶらぶら、していたのですが、2か月前から、同じ所に、同じホームレスと思われる人が寝転がっている。西の世界の世界堂の前です。新宿の中央郵便局の前あたりです。

まぁ、かわいそうだと、思いながら、近くのスターバックスで、冷たくて甘い飲み物を、飲んでました。多くの人が、まるで、彼が存在しないがごとく通り過ぎているのを見ると、何とも、複雑な感じ。彼の存在は、この社会の何を意味しているのか、について真面目に考える必要があるのではないか。

少なくとも、この社会で、食いっぱぐれることのない層は、こうした社会問題に、積極的に取り組むことが必要なのではないか。憲法の25条を読み返す必要がみんなにあるのではないか。

新宿の役所は何か対応策があるのではないか。

新宿周辺にいる弁護士とか、法律及び憲法を勉強していると思われる人々は、憲法に、何が書いてるのかを、勉強していないのではないか。

彼らの存在が、今はそうではない人々に対して、危機感を与え、その結果、保守的になっているとするならば、ある意味、社会が、ゼロ・サムゲームに陥ることになる危険性を帯びているように、僕には思われる。

まぁ、憲法を、どうやって、使っていくかが、根本的に問われているということができるだろう。

2008年8月11日月曜日

祝完成。。。

はじめに

私たちは、どのような時代を生きているのだろうか。それを理解しようとしても、「不透明」であるというのが、この時代を表現する際に、最も適した言葉のように思われる。戦後、「成長」など、私たちの社会を規定する考えが、多くの人々に共有されていたように思われる。しかし、その「成長」が、一部の人々を排除するものであったり、その「成長」の限界が指摘されるなどして、そうした社会全体の共有意識というものは崩壊しつつある[1]

ここ100年を振り返ってみると、第1次世界大戦、第2次世界大戦など、国民国家による大戦争が想起される。その後の、冷戦期においても、米ソによる核の軍拡、または、朝鮮戦争やベトナム戦争など、国民国家の暴力装置としての役割が強く印象づけられる時代である。ただ、同時に、その時代は、脱植民地化の時代でもあり、多くの民族が、または、旧植民地が、国民国家の建設を求めた。もちろん、この国民国家の流れや、国民国家に関しては批判だけでなく、肯定的に捉える事が出来る面があることは明らかであろう。先進国における福祉国家化の流れは、その大きな証拠となろう。しかし、歴史的な事実を考えた時に、肯定的な側面だけを見ることはできず、両方から捉えていくことが重要であると考える。また、冷戦期は、その国民国家を乗り越える時代でもあった。今も、統合への過程を進んでいるEUなどは、その最も大きな例だろう。この統合への深化の最初の動機には、独仏間での戦争、また、ヨーロッパにおける戦争を、阻止しようというところから始まったと見ることができる。他にも、冷戦から冷戦以後になると、NGOやNPOなどが、国境を越え、その活躍の場を広めている。こうした新たな試みは、国民国家の不足を補い、または、その問題を解決していくのに大きな役割を果たしているということができるだろう。ただ、こうした国民国家を乗り越えようとする動きは、肯定的な側面ばかりではない。多国籍企業、グローバル企業や、巨大なファンドなどは、国民国家以上に、その経済力をつけつつある。アジア通貨危機などは、そうしたファンドの行動が大きな作用を及ぼし、国民経済を破壊したと言われている。昨今の、資源高も、その背景の一つには、世界的な投機マネーの存在があることが指摘されている。国民国家を超えたプレイヤーが、世界経済に大きな影響力を持ってきているということは指摘できるだろう。もちろんではあるが、こうした巨大な経済プレイヤーは否定的な側面だけではなく、マイクロソフト社の創業者ビル・ゲイツなどは、その創業者利益を、世界の貧困などのために、費やすなどの試みがなされている。
  
国際的な構造分析を行ってきた。次に、国内における、国民国家に関する評価を見ていくことにしよう。大きな戦争を経るごとに、その国民国家としての統合は強化されるという。冷戦以後は、西側の先進国では、福祉国家が進んできた。しかし、1970年代以降、「経済成長」の陰りが、見え、その福祉国家化の流れにも、大きな見直しが求められるようになった。その結果、日本では、中曽根内閣、アメリカでは、レーガン政権、イギリスでは、サッチャー政権など、「改革」と呼ばれるような政策が次々と進められていくことになる。日本では、それ以後、橋本内閣、そして、小泉内閣と、一連の改革がなされた。その後、日本では、「格差社会」ということが多くの人々に意識されるようになり、将来への不安などから、「希望」が持ちにくい社会に向かっているように思われる。規制緩和の悪い結果として、人材派遣大手の「グッドウィル」による不法行為が行われるなど、その「改革」の制度設計に対して大きく疑問が突き付けられることになった。ネットカフェ難民は、「格差」や「貧困」の問題を考えるにあたり、これまでの視点では捉えきれないことを、大きく示している。他にも、公的年金への持続性への疑問は、若者の未納につながり、これは、政府に対する信頼が失われていることを示しているように思われる。今日、「格差」に関する問題は累積しているが、政府は、その問題に対して、十分に、対応できているとは考えられない。ただし、大阪府などの事例を見れば明らかであるが、すべてを、政府に頼ることは不可能である。このことからも、これまでの政府の在り方を、今日の問題に合わせた形に、見直していく必要性を示しているように思われる。そして、政府の不足を補う組織についても、合わせて考えていく必要があるのではないか。
 
国民国家の限界や、危険性、または、肯定的な側面も、以上のような事実から、言うことができるだろう。こうした中で、国民国家論は、国民国家を全体として批判する試みである。以上のように、国民国家が、さまざまな段階を経てきて中で、そのあり方自体を批判的に見ていくことは非常に必要であると考える。その中から、これからの国民国家の在り方が見えてくると考えている。そして、そうした国民国家と補完的な組織についても、考えていくことができるのである。
 
ここでは、まず、「国民国家論」について確認していく。国民国家論を確認する中で、国民国家を作り上げる制度を批判し、そして、そこで、無視されてきた側面について次に考えていく。その事例として、横浜の寿町[2]の歴史を見ていく。この歴史を通して、いかに、日本の「成長」と深い関連性を持ちながら、しかし、その恩恵を受けられなかったのかについて見ていくことにする。次に、「国民国家論」批判を確認する。そして、その批判から見えてくる、あるべき共同体について考えていくことにする。

1.「国民国家論[3]

最初に、国民国家論について見ていくことにする。国民国家論は、われわれがそのなかに囚われている国民国家を相対化し、対象化し、批判する試みである。西川にとって、国民国家論は少なくとも以下の3点を含むものであるとする[4]。1つ目は、自分自身が囚われている国民国家を全体として、対象化する試みであるということがある。つまり、国民国家論は、国家装置と国民形成の双方を視野に収めると同時に、それを論じる者の言語や思考や感性を問うものであると言う。2つ目は、国民国家論は国民国家批判であり、批判理論としての国民国家論であるということがある。ここ、100年の戦争などの歴史的事実を考えた時に、国民国家論が、批判理論としてなければいけないことは明らかである。その中で、国民国家論は、戦争を生み出す装置や制度をそのままにしての戦争批判とは大きく違い、その装置や制度をも含んで批判していく学問であるという。3つ目は、国民国家論は国民国家が世界的な国家システムのなかに組み込まれており、しかもその世界的な国家システムが(したがって国民国家が)崩壊に向かっているという認識から出発しているという。つまり、短期的には国家の存続はあったとしても、崩壊のさまざまな傾向と兆候を経て、崩壊の過程を進んでいくと見ている。

次に、国民国家に関して、国民国家論は以下4点の考察と判断を含んでいるとしている[5]。①国民国家は歴史的に形成され、時代と場所によって変化し異なった意味をもち(基本構造とヴァリエイション)、初めと終わりがある。②国民国家はそれ自体が矛盾的な構成体であり、その矛盾が原動力であると同時に破壊的にも働くであろう(抑圧と解放、搾取と被搾取、福祉と軍備、戦争機械としての支配と自滅の可能性、等々)。③国民国家は国際関係あるいは世界システムのなかで機能し、平等な国家主権あるいは国民主権といった神話にもかかわらず、中核と周辺、支配―被支配といった世界的差別の構造の中に位置づけられる。そしてその結果として、国民国家はシステムの普遍性をのなかで差異(国民文化、国民性、国民史、国語、国家、国旗、等々)を強調する。④国民国家においては国民の再生産(国民化)が最優先の課題とされる。国家は国民を必要とし、国民は国家装置によって国家にふさわしい存在としてつくられる。

以上、国民国家論と、その理論が含意する国民国家について、見てきた。国民国家論は、相対化し、対象化し、批判する学問であり、その批判の対象は、歴史学にまで広がっている。近代歴史学には、以下3点問題があるとしている[6]。①近代歴史学は国民国家の産物であり、国民国家の制度であり、したがって国民国家の一部である。歴史が国民史の形を取るのは、その必然的な結果であった。②したがって、近代歴史学が国民国家と運命をともにするのは理の当然であって、歴史学は国民国家とともに終焉をむかえ、歴史記述、つまりジャンルとしての歴史も、消滅するか形を変えるはずである。③そして現に国民国家は崩壊しつつあり、歴史学も崩壊しつつある。逆に言えば、歴史学の変質が国民国家の変質を表しているとする。

国民国家論を使う形で、国民国家を批判してきたのだが、西川はそれに代わるオルタナティヴを提示することはない。逆に、オルタナティヴは歴史とともに、長い考察と批判のあいだにおのずと形成されると述べるなど、よくわからない[7]。つまりは、国民国家論は、批判の学問であり、簡単に、または、安易に、オルタナティヴを提示することはしないということなのであろうか。ただし、ヨーロッパにおける統合について、一つの新しい試みとして見ていることは確かそうである[8]

以上、簡単化して、西川の議論を通して、国民国家論を確認してきた。その中で、歴史学に対しても批判的に見ていくことが必要であることも確認した。国民国家論は、どのようにして、国民国家に包摂されるようになるのかを明らかにする。だから、「成長」「一億総中流」などに対する批判の視点を投げかける。その結果、それらから「排除」されていたと考えられる人たちがいることが見えてくる。次に、その事例として、横浜の寿町の歴史を簡単化しながら振り返ってみよう。

2.寿町の歴史[9]
 
ここでは、寿町の歴史を振り返りながら、この歴史が何を意味するのかについて考えていくことにしたい。横浜にある寿町は、日雇い労働者の街として知られてきた地域であり、東京・山谷、大阪・釡ヶ崎と並んで、「日本の三大寄せ場[10]」の一つに数えられてきた。寿町およびその周辺地域はもともと「南一つ目沼」と呼ばれた湿地帯であったが、19世紀後半に埋め立てられた。この埋立てによって誕生した新たな地域は「埋地七ヶ町」と呼ばれ、寿町の地名もこのときに名付けられたそうである。「寄せ場」としての寿町の形成は第2次世界大戦後のことであり、それ以前は問屋や小規模な商店が軒を連ね、港湾労働者とその家族が暮らす、下町的情緒を帯びた地域であったという。しかし、第2次世界大戦以後、寿町を含む「埋地七ヶ町」一帯が米軍によって接収されたことによって、旧来の住民は生活の場を他所へ求め、移動していくことになった。同じころ、戦後援助物資の国内受け入れ港となった横浜港に全国から労働者が集中したが、住宅をはじめとする生活インフラの整備が間に合わず、桜木町・野毛地区にスラムがいくつも形成されていくことになった。また、宿泊所不足のために、川沿いに、多数の「水上ホテル」が開かれるようになったそうである。1956年に寿町を含む「埋地七ヶ町」の接収は解除され、そして同時期に、スラムの撤去も行われることになった。スラム住民のうち、家族や子供、女性の多くは公営住宅へ入居し、残りの人々、単身の男性労働者たちは寿町に向かったという。寿町では、接収解除後に空いた場所に、簡易宿泊所が立てられ始めていたことが、その背景としてあった。1957年には、職業安定所が寿町に移転し、同じころ、水上ホテルが順次廃止されていったため、寿町を生活の場とする日雇い労働者たちの人数は急増し、それに対応するかのように簡易宿泊所の数も、急速に増えていくことになる。こうして、高度経済成長前後の時期において、全国から集まってきた多数の労働者が寿町に集中し、港湾や建設などの現場で日雇い労働者として就労し、寿町は生活の場[11]としても発展していくことになる。港湾の機械化などもあり、港湾労働者に対する需要は減ることになる。また、1970年代最初に、高度経済成長が終わりを迎えたことも、労働者に対する需要を減らすことになった。芹沢「日雇労働と寿ドヤ街形成」p.62によると、昭和45年に6300人いた人口が、昭和50年になると、4200人に急速に減少している。単身労働者[12]に関しては、4900人から、3400人の減少であった。寿町において、家族を持つ労働者たちがいて、生活の場として発展してきたという側面はあろうが、ただし、その労働者の多くは、単身の労働者ではあったことは確かであろう。有子世帯については、昭和45年から昭和50年に間に、198世帯から131世帯に減少し、夫婦世帯に関しても、300世帯から119世帯に、大幅に減少している。港湾労働の機械化の結果、有子世帯や夫婦世帯は、寿町から出て行ったと思われる。戦後復興と高度経済成長期を支えた労働者たちは1970年代から、高齢化を迎えはじめ、1980年代以降、その傾向は顕著になっていくという。家族をもたずに単身で暮らしてきた男性労働者たちは高齢化に伴って、しだいに就労の場所を失い、長年疎遠であった家族親戚にいまさら頼ることもできず、結果として寿町で生活保護を受けながら暮らしていくことになる。そして、高齢化の進展は、寿町の生活保護受給者の増大をもたらし、1984年に5割弱であった生活保護受給率は、バブル期には一時的に減少したが、その後の長期化する「失われた10年、15年」の不況の中で、1993年には50%を越え、現代に至るまで、一貫して増加傾向にある。現在では、寿町では高齢者全体の95%入以上が生活保護を受給する状態にあるという[13]
 
以上、寿町の歴史について簡単化しながら、振り返ってみた。高度経済成長においては、巨大な労働需要から、多くの人々をひきつけたが、高度経済成長の終わりと、また、機会化の流れの中で、労働需要は減少していくことになった。こうした経済構造の変化に対して、対応できる人たちに関しては、他地域に移るなどして、対応していったことが、この時期における寿町における人口減少から考えられる。しかし、寿町を離れることができない多くの人たちは、そのまま寿町にいて、高齢期を迎え、仕事ができなくなり、頼る存在もないために、結果として、生活保護を受けている状態にあるという。日雇い労働者として、短期的な観点からしか働かなかった労働者にも、責任はあろうが、彼らの労働の現場は、まさに、日本の発展を支えた道路であったり、港であったり、建築現場であったことを考えると、彼らを使った側、そして、それらを利用して経済的な富を享受している側にも、大きな問題があるのではないかと思わざるを得ない。最後に、こうした歴史を踏まえて、「国民国家論」からの批判を超えて、どのような共同体、および、政府が求められるのかについて考えてみたい。

3.国民国家論からの批判を超えて

まずは、国民国家論に対して批判的な意見として、大門[14]の国民国家論に関する議論を見ていくことにする。大門は、基本的には、国民国家論を受け入れつつも、その理論の含意するオルタナティヴの姿に、「強い個人」があることに対して、強い反発を示している。また、国民国家に含まれた問題性を指摘するだけでなく、国家そのものを忌避する議論が含まれていることに対しても違和感を表明している。結果、「拠点」を定めて、その中で、「近代」について、肯定否定の側面、または、規範とのずれを見る中で、「近代」の意味を明らかにしていこうとしている。また、その「拠点」の中に、「近代」を乗り越えようとする動きを見ようとする。

こうした考えのために、人と人のつながりには、個人を抑圧する危険性が含まれていることは認識しつつも、そのつながりの再生に、将来の展望を示している。その抑圧性を、解消していくために、主権を広げていくことが重要であると述べられている。そして、結論だけの表明ではあるが、遠い将来を別にすれば、国家には共同性を担保する必要な役割があると述べている[15]
 
主権については、憲法などを勉強していくことが必要なのであろう。ただし、国民国家論の議論から、主権についても、批判されており、その点を踏まえると、どうなるのかについても議論する必要があるのではないかと思う。ただ単に、主権を広げれば問題が解決するというほど、問題は易しくはなさそうである。また、国家には共同性を担保する必要があるというが、その共同性を国家が担わなければいけないのかどうかについても疑問がある。アジア・太平洋戦争における政府の政策(満州における政府による市民に対する政策とか)は、政府への信頼を失わせる。国家は、共同性を守ってほしい時に、本当に守ってくれるのだろうか。
 
以上のように、国民国家論に対する批判的な意見を見てきたが、方向性としては、これに対して、私は、賛成である。それは、国民国家論に「強い個人」の仮定が含意されていることは確かそうだし、人間は、一人では生きられないことは明らかであろう。上で、確認した寿町においても、NPOなどの組織が、そこにおける高齢者たちを援助しているということがある。そして、働ける高齢者たちは、NPOとともに、活動していたりすることがある。他にも、東京における県人会組織の多さを見ると、「強い個人」というのは、間違っているように思われる。そして、「強い個人」のように働いていた単身日雇い労働者が、実は、「強い個人」ではなかったことは、上で明らかにしたことである。言葉の検討など、まだまだ、検討すべき余地が多そうである。また、私は、国民国家論についても、その批判理論としては、同意するべき点が多い。国民国家や、それを支える装置の抑圧性について、批判する視座を与えてくれる。
 
まとめ
 
国民国家論、寿町の歴史、国民国家論批判を見てきた。寿町の歴史は、私たちに多くのことを教えてくれる。「成長」を支える存在として、日雇い労働者として働いた人々が、高齢化を迎えて、生活保護に至っている。まずは、 この事実は何を意味しているのかを考えざるを得ない。結局、日本の「成長」というのは、こうした労働者たちを豊かさから「排除」する形で成立していたのではないか。それは経済成長において、ある層は富を享受でき、ある層は富を享受できないということを示している。
 
こうした状況に追い込んだ、彼らを使っていた企業や、または、政府の責任は重い。だからと言って、国を解体に追い込むようなことは、もちろんできない。政府が社会保障の担い手であることは続きそうである。私たちは、日本国憲法に書かれていることを十分に踏まえて、これまで、それが届かなかった層に、届くように努力する必要がある。
 
こうした政府の不備を埋める、もしくは、政府の限界を補完する組織として、NPO活動などが、寿町でも活発に行われている。こうした組織が、国民国家論からの批判としての組織の抑圧性を超えて、活発化していくことを期待したい。
 
最後に、日本の経済成長の発展が、寿町のような「格差」「貧困」と密接に絡み合いながら、行われてきた事は、ここで明らかになった。ここでは、それなら、どうすべきだったのかという検討までは行うことはできなかった。しかし、歴史として、経済発展を語る時に、それが誰を排除した形でなされてきたのかについて、意識することは、これからの時代を見るにあたって、非常に重要な視座であることは明らかであろう。国民国家論、そして、それを超える視座を考えながら、日本の戦後発展とは何だったのか、そして、今の社会は、どうなっているのかを考えていくことが重要であると思われる。


参考文献:
・大門正克『歴史への問い/現在への問い』校倉書房、2008年。
・芹沢勇編『寿ドヤ街』神奈川県匡救会、1976年。
・田中俊夫「寿地区の歴史」ことぶき共同診療所『5周年誌』ことぶき共同診療所、2002年。
・西川長夫「戦後歴史学と国民国家論」歴史学研究会編『戦後歴史学再考』青木書店、2000年。
・日本経済新聞社編『されど成長』日本経済新聞社、2008年。
・山本薫子『横浜・寿町と外国人』福村出版、2008年。

備考:
1行40文字、36行。
[1] 日本経済新聞社編『されど成長』は、成長に関して、さまざまな批判があることを多少は踏まえた上で、しかしながら「新しい成長の形」を探そうという試みであるとしている。
[2]寿町は、横浜にある日本三大寄せ場(他は、東京・山谷、大阪・釜ヶ崎)の一つである。寿地区という呼ぶこともあるそうであるが、ここでは、寿町を使っていくことにする。
[3]西川長夫「戦後歴史学と国民国家論」歴史学研究会編『戦後歴史学再考』青木書店、2000年を使って、ここでは、国民国家論について考えていくことにする。
[4]西川「戦後歴史学と国民国家論」p.75-77。
[5]西川「戦後歴史学と国民国家論」p.110-111を参照。
[6]西川「戦後歴史学と国民国家論」p.107-108を参照。
[7]西川「戦後歴史学と国民国家論」p.109-110を参照。
[8]西川「戦後歴史学と国民国家論」p.97。
[9]田中俊夫「寿地区の歴史」ことぶき共同診療所『5周年誌』、芹沢勇「日雇労働と寿ドヤ街形成」芹沢編『寿ドヤ涯』、山本薫子『横浜・寿町と外国人』を基に、この章は書いていくことにする。
[10] 「寄せ場」とは、日雇い労働者の自由労働市場、青空市場(屋外での職業斡旋を行う空間)をさす語であると同時に、簡易宿泊所(ドヤ)が密集し、多くの日雇い労働者が生活する地区であることも意味する。
[11] 寿町では、労働者の多くが就労現場に変更のない港湾労働に従事していたことから、家族を持った日雇い労働者が多数見られた。1970年代には、保育所、労働相談窓口など地域住民の生活・福祉に根ざした施設が開設された。また、町内新聞の発行や、盆踊り大会などの地域活動も開始された。自治会も発足することになる。
[12]芹沢勇「日雇労働と寿ドヤ街形成」p.64によると、単身日雇い労働者の出生地は、神奈川や東京が多いようであるが、しかし、他府県の合計で考えると、その7割を占めている。福岡出身者などの炭鉱閉鎖地域出身者が多いことなどが指摘されている。多様な背景を背負って、寿町に流れてきた事が推察される。その具体的な事例としては、野本『風の自叙伝』に描かれている。
[13]山本薫子『横浜・寿町と外国人』p.13。
[14]大門正克『歴史への問い/現在への問い』校倉書房、2008年を参照。
[15]大門正克『歴史への問い/現在への問い』校倉書房、2008年、p60-61。

2008年8月10日日曜日

日本から離れる期間:

8月18日から、9月3日まで、中国に行きます!!!

シンセンに行きます。香港の向かい側です。

そんなわけで、その期間は、携帯への連絡は確認できません。パソコンのメールだけは、確認するようにします。8月26日は、絶対に、一回は確認します。

そんなわけで、僕に緊急の連絡がありましたら、gmailの方に連絡ください。

研究計画書 その②

○研究計画
 日本がどのような社会であるのかについて分析するためにも、以下4つの研究に取り組みたいと考えている。

① 「集団就職」や出稼ぎ労働などで農村から都市へきた労働者たちについて、分析してみたい。高度経済成長の大きな要因として、農村からの人口移動が指摘される。こうした労働者は、都市における中小企業や、建設現場などで労働していたと考えられる。大企業などと比べると条件が悪かったと考えられる労働環境の労働者たちの姿を明らかにすることによって、日本の戦後からの格差の問題について明らかにしていきたい。

② 寿町などで見られる「貧困」の問題について考えてみたい。「貧困」の問題は、格差の最も進んだ問題であると考えている。この「貧困」の問題を、経済的または社会的構造分析することによって、その問題へと至る類型を明らかにしていく中で、日本の「貧困」問題を考えてみたい。

③ 「挑戦して失敗」した人たちに関する問題について取り組んでみたい。今日でも、中小企業の経営者は、その事業に失敗すると、その債務を個人保証しているために、家や車の財産を売り払うというリスクに曝されていると言われている。②で見た「貧困」と関連させながら、「挑戦して失敗」していった人たちが、どうして、「貧困」に陥って行くのか、行かないのかについて分析してみたい。社会保障の問題について焦点を当てていきたい。

④ ①②③で、何が問題で、どうしてそうなったのかについて、分析した後に、「希望」を持ち、「幸せ」に暮らすことができるための社会保障の在り方について考えてみたい。

研究計画書 その①

上手く書けない・・・。。。。。。。。。。。。

○研究目的

 
近年、「格差」に関する議論が、幅広く行われている。地域間格差、雇用間格差、世代間格差や、世代内格差など、その格差は多様であり、また、それらが複雑に絡まっている状況にあると言える。こうした現状の前に、私たちは、戸惑い、また、将来への不安などから、「希望」が持ちにくい状況にある。私たちは、一人一人が「希望」を持って、「幸せ」に暮らすことができるような社会を形成するために、こうした問題に取り組んでいくことが必要である。
 
さて、この格差の原因については、いくつもの点を指摘することができるだろう。中曽根内閣以降の「改革」の結果、「小泉構造改革」の結果、高齢化の結果、「若者へのシワ寄せ」の結果などが考えられる。他にも、「失われた10年、15年」の時代を経て、「戦後」の日本に多く共有されていた「経済成長」「一億総中流」「終身雇用」などの「神話」「通念」が、一部の人を排除するものであったり、それらの限界が指摘されることなどを通して、こうした共通意識は崩壊しつつある。このことも、格差というものを顕在化して考えることの大きな原因になったと考えられる。最近の景気回復の期間においても、大企業においては、好業績を出す一方で、中小企業や家計などでは、その実感を持ちにくいと言われている。その「経済成長」とは何で、どの部門の「成長」なのかということを問わなければいけない状況にあると言える。
 
以下、2点、格差問題への考え方について見ていくことにする。

① 横浜の寿町などを見ていると、そこは、これらの格差、格差問題が集約しているように思えてくる。そして、格差問題への取り組みの必要性を痛感させられる。日本国憲法25条などを踏まえて、こうした問題に取り組んでいかなければいけないのではないか。戦後の日本の「経済成長」は、何だったのかについて問いなおす必要性があることを、示しているのではないか。日本の在り方について、批判的に検討しなおす必要性を投げかけているように、思われる。

② 日本経済のこれ方について考えた時、「イノベーション」の重要性を強調されることが多い。こうした取り組みの中心としては、企業家であり、中小企業経営者であると考えられる。今日のように、「希望」が持ちにくい社会だと、失敗への恐怖から、挑戦への意欲が下がることは十分に考えられる。格差問題の存在が、私たちの挑戦意欲を萎えさせるなら、このことは、大きな問題であろう。誰もが、「希望」を持って、挑戦することができる環境を整えるという観点からも、格差問題への取り組みが求められるのだろう。

誰もが、「希望」を持って、「幸せ」に暮らすことができるような社会を形成するためにも、まず、どのような社会にあるのかについて理解することが重要である。そこから、問題への解決が考えられる。日本が、どのような社会であるのかについて理解することが私の研究の目的である。

女子バレー。頑張れ!!!

映像の色が、いつもと違う気がする。髪の毛が、赤く見えるし、肌が、白っぽい感じがする。いつもより、全体的に、美人に見える。。。

頑張って欲しい。ホント。

アメリカには、負けてほしくない。勝って欲しい。頑張れ、日本!!!

2008年8月8日金曜日

オリンピック開幕

台湾が、一つのチームとして、オリンピック、それも北京オリンピックに参加しているのを見て、行進しているのを見て、何か大きな感動を覚えた。

もう一つ、思いだしたことが。行進を見ていて、同じような行進を、高校の時、部活とかがしていた。確か、中学の時もしていた。

オリンピックを楽しみたい。特に、女子マラソンと、女子バレーに注目したい。。。

2008年8月7日木曜日

ボランティア募集

http://www.sanagitachi.com/

ボランティアを募集しています。↑。

2008年8月5日火曜日

映画「敵こそ、我が友」

面白そうな映画。。。

対象:歴史、冷戦史、国際関係

2008年8月3日日曜日

「ポスト・アメリカの時代」への雑感

「ポスト・アメリカ」の時代についての議論は多く聞くが、それは、まだ、「不透明」であるし、よく分からないというのが実際のところだろう。だからといって、そこで思考を止めるのではなくて、国際政治だろうが、何だろうが、一人ひとりの認識や考えが、この社会なり世界を形成していくと考えるとするならば、僕たち一人ひとりの主体的な取り組みが求められていると言うことができよう。

日経ビジネスの最新刊の小浜ではなくて、オバマ特集を読みながら、少しポスト・アメリカについて考えてみたいと思います。

「冷戦」というと、何かイメージがつきにくい人が多いと思う。世界史的に考えてみると、いろんな米ソの対立と、それの代理戦争があったことが容易に想像される。しかし、日本史の文脈だと、その点は希薄に描かれている。希薄だったから、希薄に描かれているのか、それとも、研究者が、国際システムという視点に立って捉える事が出来ていないのか。僕の雑感としては、日本研究における国際関係における位置づけという点が弱いように思われる。すぐに、問題を国内問題に収斂させていく傾向があるように思われ、そのあたりの拡張への試みがこれからの一つの方向性になるのかもしれない。

インドネシアでは、65年に、スカルノからスハルトに、クーデターで政権が変わった。裏には、アメリカがあり、社会主義的傾向のあるスカルノを嫌ったからだ。結果、横暴極めるスハルトを、支持するということを、アメリカはすることになる。

こういう他国の事例を見ていると、日本においても、何か、あったのではないかと、思ったりするのではあるが、それはあくまでも推測である。

こうした政治の大きな話を考えている時、そこにいる、一人ひとりへの想像力が弱くなることが、僕には多い。

オバマは、ハーバード卒業後、貧困地帯で、地域活動家として、何年間か働いていたようだ。そして、そこでの活動に限界を感じると、上の次元に上がっていくことになる。ロー卒業後、シカゴ大学で憲法を教えることになる。そのことが、憲法こそが、オバマの基礎になっているのではないかと言う。

僕なんかも、昨年、ちょっと憲法を勉強をして衝撃を受けたね。そこに溢れる理想であったり、理念であったり。僕には、それらは、現実の問題であったり、現実という名の議論に対して、打ち勝つための重要な考えのように思えた。使える道具であると思えた。

「すべて国民は、健康文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」ウイッキペディアからの引用。

本『The Post-American World』 どういった論旨で、それを言おうとしているのかについては、興味がある・・・。

今一生『社会企業家に学べ』アスキー新書

ではでは。

映画「闇の子供たち」

宮崎あおいさん出演。必見。

対象:国際関係に興味がある方。人権に興味がある方。ジェンダーに興味がある方。

柄本明『東京の俳優』

柄本さんについて、詳しくなることができる本。何か、変わっていてユニークだと、注目していた俳優だったので、本を買いました。

確か、去年、湯布院で会いました。同じ顔してました。。。

映画とか、ドラマに興味がある人は読んでいて、楽しいと思いますよ。

ただ、書かれていたことですが、映画とかを作るのは、監督だったりの仕事なので、そう意味で、この本に、メッセージが多く含まれているわけではありません。

では、面白かった。

重松清『ブルーベリー』

面白い、小説(?)。

僕は、この著者の書き方とか、その描くものが好きです。ほんと、日常的なところから、そこにある、些細な喜び、悲しみをうまく描いています。

お勧めの作家です。。。

毎日、忙しくて、自分の内面的な対話が不足している方々は、こうした小説を時々読むと、日々の生活を、もう少し余裕をもって取り組もうという意欲がわいてくる(?)。ただ、視野が広がったり、考えがまとまったり、反省したり。小説って、良いですよね。

面白い小説を、ご存知の方は、ご連絡ください。。。

映画「プラダを着た悪魔」

面白い映画。競争社会で勝つという視点から見たい人には、必見です。

映画「シッコ」

この映画は必見でしょうね。アメリカに対する見方が変わります!!!

アメリカは、冷戦時代、西側のトップだった。そのためか(?)、社会主義や共産主義に対する嫌悪感が相当強い根を国内に張っていることを、この映画は示しているのではないか。

日本などは、国内冷戦という形で、国内に社会主義や共産主義を主導する勢力がいたために、資本主義が改良されてきたのだろう。そのため、岸政権時に、国民皆保険が作られるなど、社会福祉が充実しつつあった。

最近の僕が考えているのは、日本の戦後の高度経済成長期前後を考えるにあたって、大きく分けて、3つのアクターがいたのではないか。一つ目は、戦前からのエリート。吉田に、鳩山、芦田、岸、池田、佐藤だ。2つ目は、社会主義、共産主義者。片山とか。3つ目は、田中、鈴木善幸とか。この3つ目のグループを、どのように位置づけるのか。おそらく、簡単な位置づけとしては、前2つの真ん中だろうが、どうして、そんな思想が出てきたのか?このあたりの研究は、戦後の政治史や経済史を考えるにあたって、重要だと思う。

まぁ、いろいろ考えはあると思うけど、この映画は必見だよ。とらえているテーマも広いしね。医療制度、貧困、社会政策、希望、育児・・・。

社会制度が、しっかりとしている国の方が、市民は、のびのびと、生活できるのではないか。

僕も、当分、広い意味での社会保障、社会保障を考えていくのだが、この扱うべきテーマは広いと思った。ただし、これからの日本を考えた時に、失敗しても、立ち上がることができる制度を作ることが必要であり、このことは、イノベーション溢れる経済社会を作ることにつながるとともに、希望あふれる社会を作ることにつながることであろう。

この映画を見て、反米感情が増すと共に、ただ、それでも、僕はアメリカは好きですね。今日は、午前中に、アメリカの出先機関に、ガツン、とやられたので、よけいに、そんな感情を持つのかも知れませんが。・・・

最近、詰めが甘いと、自己嫌悪で、頭を壁にぶつけたくなるような日々を送っています。。。(笑)。

2008年8月2日土曜日

NHKから連絡が来る。プロフェショナル仕事の流儀。

(以下、全部引用。)
8月5日(火)夜10時は、88分の拡大版・夏休みスペシャルです!「宮崎駿のすべて ~『ポニョ』密着300日~」宮崎駿夫監督が新作「崖の上のポニョ」に挑む現場に、構想段階から完成まで二年半、のべ300日にわたって密着!自らの人生を注ぎ込んで、もがき、迷いながら、映画を生み出していく宮崎監督。制作の山場での、突然の涙をきっかけに、映画作りは思わぬエンディングへと進んでいきます。そして、今回は、宮崎監督のこれまでの歩み、知られざる「どん底の3年間」にも迫ります。「ハイジ」「ナウシカ」「トトロ」などの秘話、宮崎アニメの名場面も満載です。

8月12日、19日は、北京五輪のため、お休みです。

8月26日「つきつめろ、そして、つきぬけろ ~科学者・小池康博~」次世代の光ファイバーを開発し、ノーベル賞候補との呼び声も高い科学者・小池康博さん。未来を切り開く科学者たちの、最先端の現場は本当に「熱い」です。

9月2日「“鬼”が率いる勝負の五輪~水泳コーチ・平井伯昌~(仮)」水泳の北島康介選手らとともに、金メダルに挑む名コーチ平井伯昌さんが登場します!。 五輪までの2ヶ月、壮絶な練習の日々に密着。そして、今も最終合宿の韓国で撮影続行中です。

9月9日「極上は遊びから生まれる~京菓子司・山口富蔵~(仮)」京都で1893年創業の老舗を守り続ける、日本屈指の京菓子づくりの匠、山口富蔵さん。奥深き京菓子の世界をご案内いたします。
そして、大きな反響をいただいた番組の再放送があります。8月25日(月)深夜1時(※火曜午前1時)
~ 総合テレビ「希望は必ず見つかる~がん専門看護師・田村恵子~」

また、番組のDVDシリーズ第4弾が、8月22日に発売されることになりました。特典映像として、放送ではご紹介できなかった、未公開トークを覧いただけます。同じく、キャスター茂木健一郎、住吉美紀とゲストのプロフェッショナルとの丁々発止のスタジオトークをたっぷりと収録した書籍「プロフェッショナル仕事の流儀」シリーズも出版されております。

http://www.nhk.or.jp/professional/dvd/index.html#d4
また、2006年12月に放送し、大きな反響をいただいた「りんごは愛で育てる ~農家・木村秋則~」が、書き下ろしのノンフィクションの本になりました。「奇跡のりんご・『絶対不可能』を覆した農家・木村秋則の記録」石川託治著・NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班監修(幻冬舎)です。

2008年8月1日金曜日

二階俊博先生、経済産業省大臣就任、おめでとうございます!!!

福田新政権を見て思う。

二階俊博先生が、経済産業省大臣です。おめでとうございます。経済産業省に、超重量級の大臣誕生です。

自民党の旧三役は、重要ポストに名前を連ねています。
二階先生は、経済産業省。伊吹さんは、財務。谷垣さんは、国土。谷垣さんは、少し汗をかけということでしょうか。

与謝野さんが、経済財政担当大臣。財政再建重視派が、これからのトレンドに!!!そして、財務大臣は、大蔵省出身の伊吹さん。大蔵出身は、財務の論理に親和的だとすると、これから、財政再建の方向が大きく動き出し、増税の方向に舵がとられるだろう。

防衛大臣は、知らない議員の方に。軽量のような感じが。問題がないからでしょうか。

野田聖子さん、大臣おめでとうございます。(写真写りによっては、とても、きれいな方だと思います。)優先造反組の復活は、小泉チルドレンの党内における地位を反映しているのか。次回の衆院選での、自民党内政治の行方は如何に!!!

そうだ。日本は、もう一流国ではないとか、言っていた大臣は、どこに行ったのか。彼女の方針、=竹中ラインは、消えていくということなのか???

増田さん、升添さん、継続。民間からの閣僚の扱いは難しいですよね。特に、厚労大臣は、問題が山積しているだけ、国会議員のなり手はいないか???

どうして、中山さんは、まだ、大臣なのか???外交方針だけは、小泉・安部路線を継続しようとしているのだろうか???

また、文部大臣は、名前も知らないような人。重要だと、僕は思うんですけどね、教育は。

僕の簡単な分析は終わり。