2008年9月29日月曜日

読書の秋(4)

重松清『みぞれ』角川書店、2008年。

普通の人の日常を描いている。描き方は、シネカノン映画に似ていると、思った。

面白かった。

2008年9月28日日曜日

読書の秋(3)

城山三郎『百戦百勝 働き一両・考え五両』角川書店、1979年。

株式会社ヤマタネの創業者をモデルとしているらしい。

面白かった。

相場師の物語。情報戦など、その様子が想像される。如何に、人は、考えることを、容易に、辞めるのかが、理解される。そして、その結末も・・・。

自分の頭で、じっくり、しっかり、考えることが重要である。

読書(2)

城山三郎『辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件』角川書店、1979年。

読んでいて、悲しくなるような作品。

高校2年の秋の、少し寒い、図書館で読んだことを記憶している。その図書館は、海辺にあり、だから、その寒さも、倍増された感じが、思いだされる。

「正義」は「勝つ」、という言葉が信じられなくなった小説。どうやって生きればいいのかが、分からなくなり、混乱することになった小説でもある。

今は、耐性もついたので、かつてほどの、悩みも、持つことはできなくなりました。

読書の秋(1)

城山三郎『本当に生きた日』新潮社、2008年。

城山作品では、例外的な、女性を主人公にした作品。

面白い。

ワークライフバランスとか言われる昨今において、考えてみるべき論点が、満載の小説のように、僕には思えました。。。

2008年9月24日水曜日

雑誌休刊相次ぐへの雑感

ネットサーフィンではないが、ブログ発見。面白そうな感じ。

雑誌休刊に関する部分を、飛ばしながら読む。この方は、雑誌休刊に賛成だとのこと。というのは、時代の要請にこたえることができない(=売れない)雑誌なんか、なくなってしまえ。

僕的には、どうだろう・・・。

『論座』が休刊と、読んだ時には、多少は、衝撃を受けた。その時に、『世界』の購読を考えた。リベラル系の雑誌を守らないとの気持ちから。

最近、政治とかに、興味がない僕。

こうした、今は儲からないけど、そして、多くの人が諦めているけど、「必要」なビジネスを、如何にして、儲かるようにしていくのか???

他業界の企業例:
①映画館、シネカノン
②建設会社、平成建設

僕は、どのようにしたら、儲かるようになるのだろうかと、最近、考えることが多いです。政治なんかに興味はありません。財政問題にも興味がありません。社会的・経済的に、新しい、想像的、創造的なことに、最近、興味があります。

東京都現代美術館

東京都現代美術館

たまには、頭の体操に、良いかも。。。

【釣りバカ】

釣りバカ日誌19

10月25日から。

今回の「ハマちゃんガール」は、常盤貴子さん!

2008年9月22日月曜日

ボクシング

最近、体を鍛えるために、ボクシングを習い始めました。今日も、左手だけですが、いろんなものを殴ってきました。どうも、私は、殴るということに慣れていないために、タイミングとかリズムとかが悪く、まだまだ修行が足りないと思っています。

体と、精神を共に鍛えることができればと、考えています。週三回程度通う予定ですね。

さてさて、最新刊の日経ビジネスを眺めていて、別冊の特集はリーダーシップとか。面白いことに、武田の会長とか、ベッカーとかがコメントしていた。ハーバードの先生のコラムが印象的。

日本は、中国に、ガツンとされたら、蘇るさ。

こうした意味の文章は、よく、聞きます。これの別の一例が、中国驚異論でしょうか。

何となくですが、こうした議論が出てくる背景は分かります。しかし、昨今のように、国のマクロ経済は、史上空前に良いとか言われる反面、家計や中小企業では実感がないという現状の経済の分配状態に
おいては、国家と自己を同一視した議論の枠組みに対して、少し納得がいきません。

経済という側面を考えた時、あまり、国家の枠組みに、囚われる必要はないのではないかと、最近、少し考えていますが、複雑ですから、答えは出ていませんが・・・。ミクロの議論の重要性の方が、最近は、目に着きます。

服屋さん

銀座に、オープンした服屋さん。

今日の日経の朝刊のコラムに載っていた。

ニューヨークの写真

ニューヨークの全景の写真を眺めて思い出しました。そう言えば、新聞記事によると、新首相が誕生した次の日に、外務省が、首相を連れて、国連に行き、演説するそうですね。何を言うんですかね。少し楽しみ。

麻生さんが、首相になりそうですね。中国にいる時に、電車ニュースで、麻生首相誕生と勘違いしていたんですが、その時に、「あっそー」と言って、スルーされたことを、記憶しています。

最近、世襲が目立ちますね。差別発言が多い方が、首相になるなんてと、僕なんかは思うんですけどね。ひとつ疑問は、どうして、麻生さんは、河野グループだったんですかね。河野さんは、ハトですよね。宮沢内閣の時の官房長官で、二人で、歴史問題へ、多少踏み込んだ解決を目指したということがありましたよね。

僕の最近の関心は、あまり、社会的経済的な価値を生まない政治から、遠のいています。

そんなわけで、時事対策程度の理解です。

2008年9月21日日曜日

財布に入っていた言葉・言葉(笑)

① 人間に必要なのは困ることだ。絶対絶命に追い込まれた時に出る力が本当の力です。
By 本田宗一郎

② 正面から向き合わないと、本当に心から楽しめませんよ!

③ 「わかる」ということを大事にする

④ 「頭のよさ」に自信のない人に必要な才能は「考え続ける能力」であり、例えば知能指数などは直接の関連はないようだ。また、諸君が仲間について「あいつは頭がよいから」と思っているのも、実はその人が数学にどっぷり浸って考えつづけた経験が深いため諸君より数学的センスが発達していることの表れである場合が多い。いずれにせよ努力しないで頭の良さを云々しても意味がない。

⑤ 「徹する」

⑥ (若い人に)勝利への執着心はあるのかな?試合で追い込まれたとき、自分と向き合って逃げずに、活路を見出さないと先はないのに。
By クルム・伊達・公子

2008年9月20日土曜日

アジア関係の映画???

内容は良く分かんないのだが(そもそも、その映画を見ていない)、凄そうな映画。

ホームページも、ほとんど読んでいない。

でも、凄そう!!!

映画「出草之歌

2008年9月17日水曜日

「基本に忠実」

今日は、「基本に忠実」と書かれたキーホルダーを買いました(笑)。それも、世界の、ミズノ製です。

この言葉を反芻することが多いです。ほんと、大事です。「最後の授業」の先生も、その講義の中で言っていたように記憶しています。学生を見ていると、基本がグラグラしているために、損をしていることが多いとかと。

昨日、映画2本見ました。映画「into the wild」と、映画「闇の子供たち」です。もう一本見る予定だったのですが、映画「闇の子供たち」が、僕にとっては、あまりにも、重かったので、もう一本は、見ることができませんでした。

正直言って、映画「闇の子供たち」で描かれていたような事実は、知っていました。でも、こうして映像で、その事実を見ることは、僕に、大きな衝撃を与えました。

世界は複雑で、問題を抱えていて、とかと考えました。

映画「into the wild」は、タンタンとした映画です。社会とかとの関わりとか、自分とかに悩んでいる方は、見てもいいでしょうね。

社会は、複雑であるという当たり前のことを、最近は、よく考えて、ボーっとしています・・・。そして、できるだけ、その複雑さを理解したいと、現場で考えるようにしています。

2008年9月9日火曜日

自分の頭で考える

今、爆笑問題がNHKに出演している番組を見てました。

今回のゲストは、子安先生で、僕なんかのイメージでは、とても難解な思想史の文章を書く先生という感じの先生です。そんなわけで、彼の論文は読んだことがありません。良く難解な雑誌に文章を書いていたので、そう思ったのかもしれません。

でも、今回この番組を見ていて、何となく、上で確認したような緊張感というのは、溶けたような感じがします。

太田さんの話は、自分の頭で、考えているので、学問的な背景はないと思いますが、やはり、一定の説得力があったように思います。

子安先生は、いわゆる思想家とか、上級や、上級に影響力を持つ中間層の研究をされているようなので、いわゆる民衆的な視点からの突っ込みには、フリーズというよりも、無関心を示された様子をされていたのが、何か印象的です。

でも、同じことを、僕が大学で、先生にすると、間違いなく、泣かされるな、という思いを感じながら、見てました。

太田さんは、やはり、話のプロであり、考えるということも、相当、しっかりされている。

僕なんかは、まだまだ、ある一定以上のレベルの中では、自分の考えをうまく伝えることができない。レベルの問題ではないような感じもしますが。レベルというよりも、意味が分からないことを、僕の周りには多いので、その意味を、自分の中でクリアーにすることで、ある意味、僕のこの問題はブレークスルーするのではないかと思います。

だから、何となく、ソクラテスメソッドで、考えを深めていこうという太田さんの、話の組み立てや、議論の仕方については、勉強になる。これは、いわゆる、学問の世界にいただけでは身に付かないような感じがする。

昔、『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』を読んで、僕は正直に感動をしたのだが、この本で書かれていたことを思い出す。明らかに、学問の世界では、発言をするとか、表現をするということが守られているが、このことは世間の中では、常識ではない。

僕たちは、この「厳しい」社会では、自己主張を行う機会を勝ち取っていかなければいけないわけで、そういう意味でも、学問の世界だけにいては、そうした表現する力とかが学べないのではないか。と、強く思い、特に、ボーっとテレビを見ることが、多い僕ですが、そのあたりの表現法について、何となく、強く注目しながら見てしまう。

そんなことを思いながら、健康のために、銭湯に行って、頭がクリアー中で、この文章を書くのでした・・・。

2008年9月8日月曜日

日本外交について、少し思う

日本の国政は、大混乱。これは、テレビでも新聞でも、明らかなこと。

政治については、考えさせられることは多いです。でも、重要なことは、これまで、優秀だと言われた人々が数多く挑戦しているにも関わらず、変わらないという現実をどのように考えるかという点にあると、僕は思います。

まぁ、お茶でもしながら、議論しましょ。。。

9月に、国連総会があるんですが、日本は、誰が行くんでしょうかね?最近は、9月に、政治的な混乱を迎えることが多いんで、国連大使が行くことが多いと記憶しています。

まぁ、誰が行ってもいいとは思うんですけど、でも、そこで、日本の総理が行って、ガツンと、中身のある内容を言うことができれば、日本の外交も面白くなるのではないかと、僕は思うんですけどね。まぁ、前提としては、言う内容を持っているということですけど。なければ、行く必要もないとは思いますけどね。
でも、ないということも、寂しい。

でも、中国のオリンピックが終わり、ヨーロッパの方では、軍事行動が行われ、ミャンマーでも問題が深刻化し、パキスタンでも変化が起きている。超大国アメリカは、イラクで政治面ではこけて、サブプライムとかで経済面でも、こけている。EUは、自分のところの問題で一杯だとすれば、日本が、新しいことを、一つくらい言ってもいいんじゃないかと、僕なんかは思うんですけどね。

今は、僕よりも優秀な人が多い、外務省の人たちは、そのあたりのビジョンをどのように持っているんでしょうかね。ホンマ、もっと、もっと、平和で安定した国際社会を作ることが日本にとっても、明らかに、望ましいことなんだから、それを推し進めるようなことをすればいいのに。

国際的なリスクの存在は、グローバル企業化を目指す日本企業にとっては、ホンマ、どうしようもないリスクなんで、それを低減するためにも、日本外交が果たすことができる役割は多いのではないか。

日本外交がヒューマニズだけで、行動することは難しいとは思うんだけども、僕は思うに、もっと、現場を知った上での、行動が求められるのではないか。

僕なんかも、無知を十分に自覚しているけれども、この国際社会の平和と安定こそが、日本そして世界の全体にとって、明らかに、望ましいんだからね。

それだけは、明らかだよね。国際社会というのは、ホント、すべてを含んでいます。都合の悪いところとかは、別とかいう議論でもありません。というのは、世界は一体ですからね。9・11を、どのように見るかは、多様だと思うんですけど、ただ、世界の無視された層、国際社会に含まれてこなかった層からの、「抵抗」だとするならば、本当に、「国際社会」とは何なのかということに、十分に注意していくことは、重要であるということは、明らかだよね。

そんなわけで、楽しい日本外交になりますように。国際社会をもっと、平和で安定した所にしますように。

2008年9月5日金曜日

インターシップを終えて

1.はじめに
 
とても、充実したインターシップを過ごすことができました。インターシップでお世話になった全ての方々に、感謝の気持ちで一杯です。

このインターシップに参加するにあたり、以下のような大きな研究目標を立てました。「中国やインド、また、他の東アジア諸国の発展など、日本を取り巻く環境は急激に変化している。その中で、日本は翻弄され、その大きな流れの中に、乗り遅れているのではないかと、思わざるをえない時がある。私は、現状はどのようになっているのか、問題は何か、それに対して何をすればいいのかを、積極的に考えていきたいと思う。このインターシップでは、今最も経済的に『熱い』地域を見ること、経験することによって、いま何が起きているのかを現場で考えてみたい。これが、大きな目標である。」

実際に、現場に行くことによって、五感で、最も経済的に「熱い」地域を体験することができました。この感想文では、もちろんですが、そこでの経験をもとに、書いていくことにします。

2.「新しく」「遅れている」中国と、「つながり」

実際に、現場に行って見たことをここでは書いていくことにします。ここでは、2点指摘します。

1つ目は、「遅れている」と、同時に「新しい」ところが、混在していたのが印象的であった。タクシーで、テクノセンターに向かう途中までは、きれいな高速道路を走っていたのだが、ふっと見ると、舗装されていない道を走り、テクノセンターに到着となった。その落差に、最初は、驚くことになる。その道の端には、ゴミが捨てられ、ゴミ収集所近辺は、悪臭がひどい。ゴミを、そこらへんに捨てないという道徳観念が、まだ、広がっていない状況であった。近隣の店の前に、テレビが置かれ、オリンピックの閉会式を、50人程度の人が見ていた。かつての日本も、こういった景色があったのだろうと、思いながら、見ていた。以上、実際に行って、「遅れている」と思ってしまうようなことは多かった。私は、戦後の日本の歴史を勉強しているため、かつての日本もこうだったのかなと思いながら、こうした様子を眺めていた。
 
「遅れている」とか、かつての日本の様、とだけ言うのは簡単であるが、実際は複雑である。滞在した寮には、インターネットルームがあり、そこには大量のインターネットに接続しているパソコンが置かれている。多くの人々が、ネットゲームをしたり、動画を見たりしている。一緒に働いた工員の方々は、休憩時間に、携帯電話を取り出して、音楽を聴いたり、動画を見たりしている。職員の方々は、休憩時間に、メールのチェックをして、メルマガを読んでいたりして、そこに添付されているコメディー動画を見ていたりした。ある意味、こうした「新しさ」は、私にとっては、驚きである。もちろん、前に上海に行ったことがあり、そこでも、「遅れている」部分と「新しい」部分が混在しているのを確認した。でも、今回は、より現場に近づき、そうした「新しさ」が生活の中に、不可欠な要素として定着していることを見せつけられたことが、私に、驚かせることになったに違いない。
 
現場に行くことで、初めて、こうした「遅れている」部分と「新しい」部分が混在しているという事実を理解することができた。こうした「遅れている」けど「新しい」という事実は、明らかなことなのかもしれない。しかし、近代日本の歴史を考えた時に、東アジアで最初に近代化に成功した日本は、他に対して、「遅れている」としてきたという事実がある。そして、そうした感覚が日本人全体に、今でも、根強く存在しているように、私には思われる。こうした日本の思想的な背景を考えた時に、こうした「遅れている」けど、「新しい」という複雑な現実を、現場に行って見て・感じて・考えることができたことは、その地域を理解するにあたって非常に重要なことなのではないかと、私は考えます。

2つ目は、「つながり」というのが、すごく意識された。この「つながり」というのは、日本と、この地域が「つながっている」とか、世界と「つながっている」ということである。

私たちがインターシップをしたのは、オリンピックの中頃からであった。現地の食堂とかのテレビでは、オリンピックの試合の様子が流されていて、多くの人々が熱心に見ていた。こうしたオリンピックを見るということは、テレビがある地域なら、世界中で行われていることである。同じものを世界中の人々が見ているのである。

こうしたことはテレビだけではない。インターネットでも、同じことが起きている。職員の方々と、日本語で、話をしていると、日本のドラマを見たという話になることがある。もちろん、不正ダウンロードであろうが、日本のドラマが、こうした地域においても、受容されている、つまりは「つながり」があるということは、驚きであった。

こうした「つながり」は、人まで広がっている。たくさん話す機会があった職員の方は、かつて、日本の外国人研修制度で、日本に1年間滞在したことがあったそうである。そこで、身につけた日本語そして日本の慣習を生かして、今は仕事をしているそうだ。日本では、外国人研修制度に対する批判が多くなされている。多くの問題を抱えた制度として、私は考えていた。今回、実際に話を聞くなかで、日本語を学べ、いろんな経験を積める、いいチャンスだったという話は、私にとっては驚きであった。なかなか、日本に行くチャンスがない中では、こうした制度でも、良いチャンスなのだということを考えさせられた。もちろん、働いていて、同じ仕事をしている日本人の給料と比較して3分の1程度だったということは知っていたようである。ただ、問題の多い制度であったとしても、これをチャンスとして捉えた中国人の人々が、日本で経験を積み、そして、中国で日系企業で、日本語を生かした職員として働いているという「つながり」は、私には、驚きであった。きちんとした日本側の制度設計をしないといけないということを強く感じた。
 
「つながり」があるということを、指摘することも、とても明らかなことなのかもしれない。しかし、最近、政治の面では着実に進んでいる「東アジア共同体」を考えた時に、いわゆる「市民」レベルで、こうした「つながり」が着実に進行している、つまりは、価値の共有や創造を行っていくための基盤が存在しているということを確認することは重要なことなのではないか。こうした「市民」の側からの働きかけが、「東アジア共同体」構築への不可欠な要因と考えるからだ。もちろん、私が確認できたのは、日本からの一方方向の流れだけであるので、あまり、大きく言うことができないのも事実であろう。ここから明らかなのは、こうした「つながり」が上手くなされれば、日本と中国の関係というのが良くなる可能性を持っているだろうが、「つながり」が悪ければ、特に、上で確認した外国人研修制度のような場合は、日本が東アジアの中で、孤立してしまう、仲間に入れてもらえない可能性になるのではないか。つまりは、日本嫌いの外国人を作ってしまうということになってしまうと考える。
 
以上、2点確認してきたが、2つとも明らかなことなのかもしれない。しかし、それを、現場に行くことで、自分の五感で感じることができた。そのことが、私のこれまでの知識というのを、さらに、推し進めることを可能にしたように思われる。複雑な事実を、複雑なまま理解し、日本で、考えていたことを現場で聞くことによって、別の見方を可能にする。現場に行くことの重要性と、必要性を感じることができた。

3.インターシップの内容

ここでは、インターシップで行ったことについて書きたい。私は、日程のほとんどを、工場での実習に費やすことができました。私にとって、そこは、初めての工場の現場だったので、非常に興味深いものでした。工員の方に、身振り手振りで、教えていただきながら、仕事をしていました。同じ作業を、場合によっては、一日中、行っていました。最初の半分の日程は、8時から20時まで研修し、残りの半分の日程は、8時から17時15分まで、研修することにしました。
 
正直、肉体的にも精神的にも、苦しいものでした。同じ作業を、続けることは、慣れない私にとっては、本当に、厳しいものでありました。ただ、もちろん、ずっと、そこにいることによって、工場がどのように動いているのかについて、勉強することができました。
 
最も、印象的なのは、合理化の取り組みです。合理化というのは、仕事を楽に速くすることです。私が、仕事をしていると、工員の方が、いろんな道具を持って来て、より速く楽にすることができる方法を考えていました。職員の方も、工場に来て、合理化できる箇所を探していました。
 
工場での研修は、私にとっては、体力と精神の「修行」という側面が大きかったように思います。もともと、この両面の不足を感じていましたが、さらに、痛感することになりました。ただ、おそらく、こうした工場での経験を得ることができるのは、最初で最後だろうと思っていたので、このように工場で実習することが、できたのは、本当に、よかったです。

4.班のメンバー

楽しく過ごせたのも、そして、苦しいのを乗り越えることができたのも、「仲間たち」の存在が大きい。最初は、もちろん、不安でしたけど、徐々に、皆が、「本気で生きるため」の何かを探しに来ているんだということを知ることができて、すごく良い刺激を受けることができました。

5.結び

現場に行くことができた、現場で考えることができたというのが、今回の大きな収穫の一つであろう。もちろん、すべてが、文字化できるほどまでに、クリアーなわけではない。ただし、私は、あまり、これまで、現場に行くということをしなかったので、ここでの現場経験は、とてつもなく大きなものになっている。
 
もう一つの大きな収穫は、やはり、「仲間たち」との出会いであろう。「本気で生きる」ことに、真剣なみんなとの出会いは、私に、元気をくれた。気合いをくれた。もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、頑張らなくちゃと思わしてくれた。
 
私は、世界をもっと平和で、豊かで、楽しくするために、世界で活躍したい。明らかだけど、こんな大きな夢や目標は、一人ではできない。このことを、私は、今回ここで出会うことができた「仲間たち」から教えてもらった。「熱いハート」を持って、たくさんの人々と議論しながら、こうした夢や目標に取り組む方が、私にとって、楽しいものであるということを気づくことができたのも、「仲間たち」の大きな存在があったからである。

ありがとう。

このインターシップは、私にとって、とてつもなく大きな経験である。私は、この経験を大切にしたい。そのためにも、高い目標を持って、「熱いハート」を持って、頑張っていきます。ありがとうございました。